祭礼は 9月17日(土) |
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今年も祭礼は 9月17日(土)です
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吾妻さまのまち 富津市・吾妻神社 毎年九月十七日、富津市西大和田に鎮座する吾妻神社の例祭が行われる。富津市は県南西部に位置する農・漁業都市で、北東は君津市、南は鴨川市と安房郡鋸南町に接し、西は富津岬を境に北を東京湾、南は浦賀水道に面している。内陸部は君津近郊緑地の鹿野山野猿の生息する高岩山、日本最大の石仏のある鋸山に囲まれ、西に霊峰富士を望む首都圏には数少ない豊かな自然を有する温暖な地域である。人口約五万六千人、面積一九七・七二平方キロメートル、昭和四十六年四月市制施行。 吾妻神社は内房線大貫駅の東約二・五キロの、吉野小学校の山腹にある。土地の人びとは、この吾妻神社のある山を「オヤマ」、神社を「オアヅマサマ」と呼び、もと吉野郷といわれた、現富津市内の上、近藤、八田沼、絹、西大和田、中、岩瀬地区の旧七村の氏神様である。 祭神は、記紀に記載されているように、日本武尊が東国平定の際、走水の海をお渡りになった時、海難に遭遇され、その危機をお救いになるために入水された弟橘姫命といわれる。 吾妻神社例祭の中心をなす神事に、「ウマダシ」、「オブリ」、「ミコシ」がある。「ウマダシ」の主役は、神馬で氏子旧七村のうち、中・絹・西大和田・岩瀬地区からそれぞれ一頭の神馬を用意する。そのうち最高至貴の神馬を「オメシ」といい、昔から岩瀬の神馬があてられる。「オメシ」とは神が「お召しになる馬」の意味と解釈されている。 弟橘姫命の遺品の櫛が岩瀬の浜に漂着したのを、見つけた岩瀬の人たちが馬の背に乗せて、お吾妻さまに納めたのが、この「オメシ」のおこりともいわれる。祭り当日の早朝、まだ暗いうちに、オメシの祭り役である馬役は岩瀬へ行き、海水で身体を浄める。馬役はこの時、誰にも見られないように海中から二枚貝と小さな黒い真石を三個拾い二枚貝の中に入れて、そっと自分の身につけて持ち帰る。そして、馬役は迎え役、口取りの若い衆らと神馬の馬主である家に行き、馬を借りてくる。岩瀬の海に連れて行き海水で馬を浄め、馬役の家に曳いてゆき、〆縄の張ってある忌竹につながれる。「ユイアゲ」と称する腹巻、背に純白のフトンを何枚も敷き重ね飾りたてられる。神社にて幣束二本がその上に立てられる。馬出しを行なう他村の馬は「オメシ」とはいわず「だし馬」もしくは「客馬」といい、股にユィァゲ、背に友禅模様のフトンを重ね、その上に日の丸の小旗をたてる。今は日の丸の小旗の代わりに、オメシの幣束より小さな幣束を二本背に立てる。この役馬はすべてオス馬である。 「オヤマ」に上る順序は、一番始めに絹の神馬、その後に絹から山開きの獅子二匹、次に宮本の西大和田の神馬、オボリとつづき、最後に岩瀬のオメシ、オボリが上がる。午前八時から十時ごろにかけて行われる。 第三の神事に、神輿の渡御がある。神輿は拝殿左前の神城に安置されている。オブリにつけてある魚をはずし、神輿につける。この神事に先立ち神殿において、神官、氏子総代らによって、祭典が執り行われる。神輿は「ミタマイレ」の儀式が行われると、下山渡御となる。 「馬だし」 神事は、かつては小久保の神明神社や、湊の八雲神社など、富津市・君津市内二十数社もあったが、馬の飼育が全く少なくなった現在、この吾妻神社のみに伝承される民俗となった。
「オメシ」(馬だし)、「オブリ」、「ミコシ」の三大神事は、古来の儀礼正しく伝承されている。とくに、「オメシ」「オブリ」神事は、御輿以前の素朴で古風な祭礼を見るような祭りであり、神事である。 以上 「房総の祭り」 中嶋清一 著より 神馬・副神馬時間 (2005年)
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