祭礼は9月27日 | |
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写真:H16年9月 |
千種新田及び諏訪神社の由来 大貫駅を中心とした周辺の地域は江戸時代に開発された集落で十八世紀までは雑草の生い茂った原野で西大和田村の秣(まぐさ)場でした。 寛延(千七百四十八年〜千七百五十年)の頃、烏田村(木更津市)諏訪幸右衛門と畑沢村(木更津市)の水越藤左エ門はこの荒れ地に着目し、その開発を幕府に願い出ました。このとき永井、平野、松浦、林ら多くの農民たちに支援され数年後の宝暦三年(千七百五十三年)には七十四町歩余り(石高二百石余り)の新しい農地が出現いたしました。 江戸時代には徳川吉宗の頃以前に開拓された農地を古新田といい、その後開拓したものを新田と言いました。千種新田と言うのは、この海辺の地名であった「ちくさ」という頭文字をつけた呼び名です。別に「みたて」新田とも言います。開拓にあたって凡その耕地の広さ、石高などをみたてて開発したところを「見立て新田」と呼び「みたて」という名は千種新田の代名詞となってきました。 新田村ができると、村人たちは氏神として諏訪氏の信仰していた諏訪明神を、天明七年(千七百八十七年)に勧請して諏訪神社(建御名方富命)を創建しました。この社の本殿は流れ造り銅板瓦棒葺ぶき一間社でしたが、現在は文化元年(千八百四年)に改築したものです。 この神社から南西約一キロに江戸時代の川名村名主であった森家があり、慶応四年に出したキリスト教禁制の「制札」があります。新田から篠部にかけては古い砂丘地帯で畑地が多く、明治中期以来、篠部南瓜を始め蔬菜関連が盛んで近年はこの新田にも精密工場や大型店等の進出も目立って来きました。 前夜祭 9月26日(月) ふれ囃子 午後6:00〜7:00 本祭り 9月27日(火) ふれ囃子 午前6:00〜7:00 式典 午前9:30〜10:00 御神輿渡御 出発 午前10:30
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