磯根山 磯根山より大貫海岸を望む、と表示されています。撮影年代は不詳ですが、大貫とプリントされていますので、明治中期〜大正中期の撮影と思われます。 *写真をクリックすると拡大写真が表示されます
岩瀬川河口付近 木造の和船が時代を感じさせる。後方左の 橋はルート変更により廃止された海岸橋。鯛や鱸をターゲットに、釣り客が乗船を待 つのもこのあたり。ちなみに現在の乗船場は大貫漁港。昭和38年撮影 写真提供:藤平 孝様 *写真をクリックすると拡大写真が表示されます
大貫漁港の浚渫工事 画面左では現在、「東京湾栽培漁業センター」が又手前では「地引造船所」が稼働しています。撮影は昭和20年代です。 (写真提供:さざ波館様) *写真をクリックすると拡大写真が表示されます
さざ波館付近より磯根崎を望む。写真の名前 干されいる蟹網、木造漁船、高根築港付近の倉庫。懐かしい風景です。撮影は昭和20年代と思われます。 (写真提供:稲葉 保二様) *写真をクリックすると拡大写真が表示されます
蟹網干しの風景 昭和20年代から30年代初期にかけて、大貫漁港は「ワタリガニ」ラッシュにわきました。子供たちのおやつはもっぱら蟹の爪でした。写真は蟹網干しの情景です。昭和30年代初期の撮影と思われます。 写真提供:藤平 孝様 *写真をクリックすると拡大写真が表示されます
大貫村の缶詰製造所 明治30年代に大貫沖でスガイが大量に漁獲されたことがある。地元では、このスガイを缶詰にして販売した。明治35年には大阪博覧会に出品して賞を受けたといわれる。スガイを搬入する人、むく人、缶詰に加工する人といったように分業で作業が行われていた。 写真提供者:野中 徹様 *写真をクリックすると拡大写真が表示されます
大貫海岸の地引き網漁 大貫海岸の地引き網漁は、内房地区ではよ く知られ、昭和10年頃には、小久保と岩瀬を合わせると少なくとも5つの地引があった。農間期には、近隣の農村から引き子が集まり、威勢のよいかけ声に、魚もはねた。 (写真提供:石井 ひでみ様) *写真をクリックすると拡大写真が表示されます
新舞子海岸の地引き網漁 昭和初期に撮影された写真。菅笠をかぶっ た引き子の姿が目につく。見物人の中に水着姿もあるので、季節は夏であろう。 写真提供:野中 徹様 *写真をクリックすると拡大写真が表示されます