last update 2006-04-14
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 大貫高等女学校第二学年生

 戦後昭和21年には県下で四つの高等女学校が誕生した。市川市立高女、木更津市立高女、八街町立高女、それと大貫町立高女です。しかし昭和22年には六三制構想がかたまり生徒は町立大貫高等女学校併設中学校二年生となり新制度の大貫中学校と併合して勉強することになった。背景に見えるように学校所在地は旧大貫中学校校舎の右隣に建設されていた。様々な服装にご注目ください。                            写真提供 君商 25年史より



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 大貫高校最後の記念撮影

 昭和23年7月、大貫高女は大貫町立大貫高等学校に昇格、同年9月県立大貫高等学校となりました。大貫高等学校は勤労しつつ学ぶ者のために開かれ、授業は昼間の定時制課程として設置されました。一週間3日の出校で4年間で終了できるようになっていました。生徒は農業に従事する者が多かったが、鉄道や商店に勤めながら通学する者もいました。昭和25年天羽高等学校に併合され、天羽高等学校大貫校舎となりました。昭和25年3月 君商25年史より。


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 昭和29年8月新校舎棟上式

 当時、大貫中学校に隣接していた県立天羽高校大貫校舎普通課程は生徒数も少なく廃校寸前にあった。挨拶している町長の斉藤行蔵氏は、「県南に商業系の高校を設け、伸びゆく千葉県民の経済生活に対応出来うる若い青年子女を育成せねばならん」と考え「県立商業高等学校設立請願書」を起草し君津郡、安房郡の各町役場まで行き趣旨説明し、賛同を得て、千葉県知事に提出した。斉藤氏は校地の確保、整地から校舎建築まで功労があった。現在この校舎は殆ど取り壊されたが、一部鈴木医院診察室として使われている。
写真 昭和29年7月1日 君商25年史より
県立天羽高等学校大貫校舎落成式

   

 

 定時制普通課程の募集を中止し県立天羽高等学校の全日制商業課程が設置されたのは昭和29年9月、千葉県教育委員会山下教育長の落成祝賀式の写真である。商業課程2学級から始まりその後学級増が行われた。


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 「君商」独立の頃の航空写真

 昭和38年天羽高等学校商業課程から独立して県立君津商業高等学校となった。この写真は昭和41年管理棟が落成する前の航空写真。手前に旧木造の校舎が見える。当時木造校舎は部活動などに使用されていた。


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 ここに収録した写真は「グリーン・ふっつ」が「ふるさとの思い出写真集」 明治・大正・昭和・富津(昭和59年発行)の編集者 野中徹氏や他の写真所蔵者の了解を得て収録したものです。掲載写真の無断転載などの使用はお断りします。 (グリーンネットふっつ)
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