田起こし 馬を使ってスキで株田を起こしている風景である。 吉野の上地区の水田と思われる * 写真をクリックすると拡大します
田植え
6月〜7月に行われた。一列に並び、後ずさりしながら家族総出で植えたりした。 稲が成長すると田の草取りが行われた。稲の株の回りをかき回し空気を入れ、 分けつを促進させるために行われた。 * 写真をクリックすると拡大します
稲刈り
稲刈りは現在より遅い時期(9がつから10月)に行われていた。 泥田にたももしきや胴長をつけて入ることもあった。 刈った稲はそだかけをした。 * 写真をクリックすると拡大します
害虫駆除 明治44年、佐貫小学児童が学校の行き帰りに捕虫網をもって ”めいちゅう”をとる風景。先生や巡査も入り、子どもは裸足で 歩いている * 写真をクリックすると拡大します
佐貫の関山用水の暗渠 関山用水は江戸時代(1822年)に竣工したものだが、 佐貫地区の水田に灌漑用水の供給を続けている。 * 写真をクリックすると拡大します
農村の託児所 太平洋戦争が始まるころ、食糧増産のため人手が足りず 一色・障子谷には共同の託児所が設けられた。農繁期は 共同炊事所もつくられた。 * 写真をクリックすると拡大します
乾し柿剥皮
渋柿の皮を剥いて吊し乾し柿(あまんぶし)にする作業風景正月の必需品。写真は富津市吉野地区での風景。
* 写真をクリックすると拡大します
ここに収録した写真は「グリーン・ふっつ」が「ふるさとの思い出写真集」 明治・大正・昭和・富津(昭和59年発行)の編集者 野中徹氏や他の写真所蔵者の了解を得て収録したものです。
Top | menu